コーガ石の建物について


 西暦886年(平安時代)、新島の南側の水深数十メートルの海から海底火山が噴火しました。その噴火は数日で山ができるほど激しく、遠く離れた房総半島でも火山灰が降り注ぎ牛や馬が亡くなるほどだったという記録が残っています。

 その噴火で生まれたのが新島南部の向山(むかいやま)。その向山から産出されるのがコーガ石(抗火石)です。岩石としては黒雲母流紋岩に分類され、良質なものは水に浮くほど軽く、多孔質で加工しやすく断熱性や耐酸性に優れた石材で、島では江戸時代から建材として利用されるようになりました。現在でも島の建物の7割以上がどこかしらにコーガ石が使用されており、新島ではとても身近な石です。ここ数十年、コーガ石はなぜか「新島とイタリアのリパリ島でしか採れない」と言われていましたが、実はリパリ島の石は特徴が違い、コーガ石は世界でも新島とその周辺でしか採れない貴重な石だということが地質学者によって確認されています。コーガ石は成分の8割近くがケイ素であり、溶かすだけで深いオリーブグリーンの新島ガラスになります。

 新島では最盛期には石工たちが腕を競い、屋根まで石葺きで細部に意匠を凝らした建物が造られていました。また石材として島外に搬出され、島の一大産業として発展していました。しかしだんだんと需要も減り、平成19年には村営の採石場は採掘を止めています。現在でも地元の会社が採石を続けていますが、屋根にまで加工できるような良質の石はなくなり、建築基準法が制定されたことによって総コーガ石造りでの新たな建物を造ることは不可能になりました。

 新島では近年2000年の三宅島噴火に伴う群発地震と震度6弱の揺れ、そして東日本大震災の時は震度5強の揺れを経験しました。その際コーガ石の建物もひび割れなどの被害を受け、修復されることなく壊されてしまった建物も多くありました。また近年は石の加工の技術を持った職人が少なくなり、修復すれば使える建物であっても壊されてしまうケースが多く、貴重な建物がどんどん姿を消しています。

当社は貴重なコーガ石の建物を残したいという想いから島でたった一つだけ現存している本村1丁目・キンデ―宅の「カマヤカタ(竈と風呂場を備えた建物)」を譲り受け、島外の建築の専門家の組織である新島コーガ石建造物調査会に主導して頂き石倉や豚舎と共に登録文化財への申請を進めています。また系列の会社でコーガ石造りの建物を現代的なゲストハウスに改装して運営したり、若者の活動拠点として利用できるようにしています。

Fudousan Plugin Ver.6.2.0